ゴッツといっしょ!

ゴッツの日記

精神病院2

3週間ほどして閉鎖病棟から出されて解放病棟に移った。

 

セルトラリン(ジェイゾロフト)が体に馴染むまでが大変だった。37.2℃くらいの微熱が続いた。ダルさも強かった。結局、2か月ずっと微熱が続いた。

 

解放病棟に出て1週間した頃からOTが始まった。私は運動をさせられた。薬の導入時の副作用でダルかったが、頑張った。

毎日毎日、平日は体育館をぐるぐる歩いた。この頃、とってもスッキリした体型になっていた。夜もベッド上で腹筋やストレッチをしていたから。

開放病棟に出ると、私物は自己管理できる。だから、WALKMANで音楽を聴きながら体育館をぐるぐるぐるぐる歩いた。

 

朝は08:00に起こされ、10:00~12:00くらいまで体育館をぐるぐるして、夜は21:00には消灯という規則正しい生活をしていたが、さっぱり生活リズムは整わなかった。

 

アメリカに行った時は夜に寝て朝起きるのはとても楽だったのに、やはり、体内時計がズレていると思われる。

 

結局、3か月入院した。入院費は31万円くらい。入院中の給与は色々引かれて手取り16万円くらい。痛かった。

 

入院して分かったことは「考え方を変えろ」ってこと。でも、私は「あんな奴らとはなぁなぁで陰口を言いながら表面上仲良くしてるのに、どうしてみんな、私とは仲良くできないの?」「『そんことは聞き流して!』と言うクセに、私の話は聞き流さないの?」という気持ちだった。

 

どこに行っても同じかもしれない。働く場所を変えた所で状態は変わらないのかもしれない。職場の当たりが悪いばっかりに、こんな貧乏クジを引かされて…。同期は楽しいって言いながら仕事してるのに…!!どうして私だけうまくいかないの?

 

異端者は私だったのかな。

 

ただでさえ自信がないのに、更に自信がなくなったところで退院させられた。

この頃には、薬の副作用とストレスで太ってしまっていた。65kgにもなっていた。太ったのに頬肉はなく、目の下にはクマができて、人相は悪くなってしまった。

 

私が選択したのは、『同じ職場に帰る』こと。ゆとりは甘えてると言われたくなかった。自分の強さを周りに誇示したかった。だから、同じ病院の同じ病棟で働くことを選択した。

 

でも、これが失敗だった……。